『田中真澄の88話』ぱるす出版

田中真澄

普段から、物事を前向きに明るく受け止め、どんなことからも学ぶ姿勢を維持している人の話は、聴いていて、もっと聴きたいという気持ちになるものです。

それには四つの要領があります。

それを「軽薄短小」と覚えて、話に活かしたいものです。

「軽」…軽快な話。明るい話。

「薄」…身近に着る下着は薄いことから身近な話。

「短」…短い話。短い時間で話す。ワンセンテンス50字以内の短い文。

「小」…具体的(人名・場所・時刻)な話。特にニュース性のある話。

「話の味は人の味」と言われているように、その人の話が面白いか・聴きたくなる話かどうかは、その人の普段の生き方に関係します。

物事を前向きに明るく受け止め、どんなことからも学ぶ姿勢を維持している人の話は、聴いていてとても参考になり、もっと聴きたいという気持ちになるものです。

その反対に、自分の自慢話や他人の批判ばかりしている人や物事に対して常に悲観的に受けとめる人の話を聴いていると、「もういい加減にしてほしい」という気持ちになり耳をふさぎたくなります。

この二つの違いは、しばらく相手の話を聴いていればすぐ分かります。

ところが、自分の話はどっちに属するかをわきまえていない人が多いのです。

そこで、冷静になって自分の話が自慢話に終始していないか・他人を批判するだけの話になっていないかを分析してみることです。

実は多くの場合、後者の自分中心の話になっている傾向があります。

だからこそ、軽薄短小の話ができるように、自分の話し方を変えていく必要があるのです。

軽薄短小」で話したら、今度は聴く側に回ることです。

その際には「話し三分に聞き七分」の要領を忘れないで対応するのです。

「雑談力のある人の話は短い。 たいていの場合、もっと聞きたいなという余韻を残してスッと終わってしまう。 そして次に展開する」(多湖輝

人は誰でも、興がのってくると、自分の方が少しでも多くしゃべりたい衝動(しょうどう)にかられる。

しかし、そんな衝動を抑え、話を短く終わると、そこに余韻が残る。

余韻とは、別れたあとにまた会いたい、また話を聞きたいという気持ちにさせる、しみじみとした「人間的魅力」のこと。

鐘の響きもそうだが、余韻はしみじみと味わうもの。

明るい話、身近でわかりやすい具体的な話、短い話。

むずかしい外来語や専門用語は使わない。

そして、話終わったらすばやく聴き手にまわる。

「話し三分に聞き七分」を肝に銘じたい。