【そもそも人間学とは何か】 自己を修め人を治める学

知古嶋芳琉です。

引き続き、私が師事した安岡正篤師の講話録、

プレジデント社の安岡人間学講話第4集、

『人物を創る』(「大学」「小学」)から、

心の赴くままに引用してご紹介します。

今回からは、同書の中から、

<政教の原理 大学>

の序章のご紹介です。

この講義は、

昭和三十三年八月に

京都・宇治の靖国寺で開催された、

第一回全国師道研修会における連続講義を、

関西師友協会事務局が筆録し、

同協会の機関誌「関西師友」に掲載されたものです

−−−引用はここからです−−−

政教の原理 大学

■ 自己を修め人を治める学

○ 「大学」の由来

 この講義は単なる訓詁(くんこ:古い言葉の字句の

意義を解釈すること)的解釈の講義ではなくて、生き

たものとして働かしてみたいと思う。

 本来ならば、『大学』よりも前に朱子の『小学』をやる

べきであります。

ご承知のように、

『小学』は我々の身近な問題が採り上げられている。

明(みん)代の碩学(せきがく)章楓山(しょうふうざん)

のもとへ、一人の進士(科挙に合格した者)が訪れ、

学問についての心構えをたずねたところ、即座に

「小学をやるべし」

と言われた。

そこで進士は最初大いに立腹したが、

考えなおして『小学』を勉強、

再び楓山をたずねたところ、

「ほう、だいぶ小学を読んだな」

と言われたという。

この逸話にもうかがえるように、

『小学』は

自分自身の卑近な、

いかに自己を修めるかという

道徳教育の学問である。

これがわかれば『大学』も小学であり、

『小学』も大学であって同じであります。

さて

『大学』は古来、シナだけでなく朝鮮・日本と、

幾多無数の人々の心を養ってきた書物である。

そればかりではなく、

事業・生活に生きて、

道徳・政治・教育・経済など百般の指導的階級の

生活・事業にどれだけ資したかしれない。

その意味では確かに経書であって、

仏教でいえばお経であります。

日本においては単に儒書にとどまらず、

仏教家も大いにこれを熟読玩味したのであります。

 鎌倉末期・建武のころは、

儒書はもっぱら僧侶によって講ぜられておった。

儒学の盛んであった徳川時代にも、

僧侶は必読のものとして

四書(大学・中庸・論語孟子)を研究している。

道元禅師なども、

心を修めるには内典、すなわち仏教書物のほかに

外典(げてん)、

すなわち儒書を読まねばならぬとして、

大いに『大学』を尊重している。

伊予の大洲(おおす)に

中江藤樹(なかえとうじゅ)と併称された

盤珪(ばんけい)禅師のごときは、

「明明徳とは何ぞや」

に心魂を傾けたといわれる。

学問経書は読み方次第で

血も通い熱情もたぎってくる。

もともと

『大学』はシナでは『礼記』の一篇であるが、

宋代に

司馬温公(しばおんこう:司馬光北宋の政治家・学

者)が特にこれを抜き出して

「大学広義」とした。

それを程明道(ていめいどう)、

程伊川(ていいせん:明道・伊川は兄弟、共に北宋

大儒)の二程子が大いに尊重して、

論語』『孟子』『中庸』と併せて世に奨励し、

その学統を受けた朱子(しゅし)は、

これに秩序を与えて

四書の一つに仕立てたのであります。

日本においても、

ちょうど朱子と同時代に出た

清原頼業(よりなり)という人は、

礼記』から『大学』を選び出して

註釈を加えたといわれる。

○ 「儒」の意味

 だいたい儒教の「儒」という字に権威を持たせたの

は、歴史的に考察するに、戦国時代の荀子あたりか

らであろうと思われる。原始儒教を学ぼうと思えば、

なんといっても孔子であるが、その孔子の門流は

大略二派に分けられる。

その一つは

孟子の理想主義派であり、

いま一つは荀子の客観主義、

現実主義の一派である。

近頃の若い人は、

荀子を知らない人が多いが、

儒教史を調べるにしても、

シナ哲学をやるにしても、

本当は

孟子よりも

荀子をやらねばならぬ。

その荀子によると、

儒という字の用いられた最初は悪い意味で、

儒は「懦弱(だじゃく)事を畏(おそれ)る」

というときの「懦」と同じ悪い意味に使われていた。

それは大いに間違いであるというのが

荀子の弁であります。

本当にそうでありまして、

進歩的知識人・文化人などは、

いかに懦弱(だじゃく)であるかがよくわかる。

これはいつの時代にも

歴史的事実であると思われる。

 春秋・戦国の頃は

侵略や謀略が横行して

人間の運命が脅かされたときで、

その間に処した当時の知識人たちの

無気力な卑屈なやり方を考察すればよくわかる。

ちょうど、現今の国際社会の情勢は、

その軋轢(あつれき)・闘争・思想・言論など

そっくりそのまま戦国時代に行なわれていた。

その間に介在する知識人・批評家などは

だいたい無責任で、

弥次(やじ:自分に関係のないことに、

興味本位で騒ぎ立て、見物すること。

また、人のしりについて騒ぎ回ること。

また、その人々)で、

その内心は

事大主義(自分の信念をもたず、支配的な勢力

風潮に迎合して

自己保身を図ろうとする態度・考え方)で

権力の前には卑屈で

口ばっかりで肚(はら)がなかった。

こういう傾向が非常に強かった。

現今の知識人・文化人といわれる人たちも

まったくそのとおりで、

曲学阿世(あせい)の今日ほど盛んなときはない。

 彼ら進歩的知識人たちの起草したといわれる

日教組の倫理綱領などをみてもよくわかる。

この前の日共の大会には

ソ連の代表が特別参加したが、

ある日のごときは

その代表が遅刻したため開会が遅れて、

彼らの入場を待ってやっと開会したという。

かように、

まことに権力威勢の前には卑屈であります。

彼らの一部の人たちは公然と言うのであるが、

「アメリカに負けて国を占領されても命だけは助かる。

ソ連中共に反対したときには命がなくなる。だから

共産側につくのだ」というのです。

まして

彼らにつけば、時勢にも便乗できるし、利益もある。

「儒」はこういう

「懦弱(だじゃく)事を畏る」の

「懦(だ)」の意味に使われていた。

しかし、

そうではないので、

本当の思想言論というものは

真理・信念に基づいて行なわれなければならぬ。

それあるによって、立派な国民の進歩も、

権威のある正しい政治も行なわれる。

政治風俗を正し、

国民の生活を守る根本の原理を

明らかに指摘するのが儒である。

こういうように

次第に意味が矯正されてきた。

まったくそのとおりで、

「儒」は漢の武帝の時代に

国家の採用するところとなり

漢の武帝はシナの歴史に一新紀元を画した

名帝である)、

そのころから儒は本当に国民思想・国家思想として

発達するようになった。

ことに儒教を非常に洗練し、活用して、

偉大なる業績を発揮したのは

後漢の光武皇帝であります。

そのために後漢末には

幾多の英雄豪傑が輩出した。

ちょうど、それは

徳川家康の政教政策に該当するものであって、

神・儒・仏の教学の奨励によって、

ご承知のように幕末には

たくさんの有為な人材が出ておるのであります。

○ 「大学」とは「大人の学」であり、

  政治原論・政治哲学である

だいたい

礼記』は武帝時代前後に

今日のような体裁になったのであるが、

『大学』は

前述のごとく、

その一篇であった。

それが宋代になって特に選ばれて、

四書の中に加えられたのである。

「大学」という意味は、

古来いろいろにいわれているが、

どの説も一面をうがっていて、すべてが正しい。

すなわち「大人(たいじん)の学」、

「学校制度の最高教育機関」という意味、

あるいは、

「人間の学」には自己を修める「修己」と、

人を治める「治人」の二つあるところにより、

自己を修めるを「小学」といい、

人を治めるを「大学」という。

したがって、

「大学」とはすなわち「人を治める学」である。

政治原論・政治哲学である、

という意味にもとることができる、

そのすべてを含んだ意味と見てよろしい。

−−−引用はここまでです−−−

ここからは知古嶋芳琉が書いています。

昔の中国の進士といえば、今で言うと東大法学部を

主席で卒業して、しかも公務員試験も過去最高の成

績で合格した人といったところでしょうか。

もしかしたら、

在学中にハーバードかスタンフォードに留学して

博士号まで取っていたりする、

ピカ一の秀才かもしれません。

そんな秀才に、

章楓山(しょうふうざん)先生は、

即座に「小学をやるべし」と言われたという。

『小学』は自分自身の卑近な、

いかに自己を修めるかという道徳教育の学問です。

その基本は善い躾(しつけ)・クセを

身につけることです。

この道徳教育というのは、

今も昔も変わるところはありません。

挨拶の仕方から、受け答えの仕方、坐り方から、

立ち方など、

いわゆる立ち居振る舞いから始める

礼儀作法を繰り返し叩き込んで、

もう無意識のうちに、

ごく自然に立っている、

その佇(たたず)まいそのものが、

えもいわれぬ

品格とか風格を醸し出しているようなレベルにまで

叩き上げる、

つまり躾をするわけです。

今どきなら、

キャリア教育でやる、

「ビジネス・マナー」みたいなものですが、

そんな薄っぺらな、

その場しのぎの行儀作法を教えてもらったところで、

そんな付け焼刃の作法では

現実の現場では、何の役にも立ちません。

何しろ場数を踏んだ実体験がないので、

とっさの応用ができない。

アドリブができないから、

実用にならないのです。

職場の先輩に対する、口のきき方すら、

まともにできない。

電話を取らせても、

しどろもどろで、

結局は先輩から受話器を取り上げられて、

その先輩は、

お客さまに平身低頭しながら

新入社員の非礼・無礼の数々をお詫びした上で、

事の問題をいとも簡単に処理して、

事なきを得るというよりも、

その見事な応対ぶりとか、心遣いに

相手を感動させて、

熱烈なファンにしてしまう人もいるわけで、

そのような光景は、

新入社員が

職場に実習生として配属された頃には、

どこでも見かけるものです。

このような

電話の応対ひとつを採り上げてみましても、

プロとしての技というものもありますが、

これが本音の本音でやった

真心のこもったレベルにまで昇華されますと、

わずか2〜3分の時間のうちに、

人の魂を揺さぶり、

心を虜にしてしまうほどの力を持つものです。

こうして、

いくら嘆いても仕方ないのですが、

いきなり

論語』なんて難しい本を読む前に、

『小学』あたりから始めるほうが、

結局は、

遠回りをしなくてよろしいのです。

ただし、

あくまでも「実践」できるようになるまで

繰り返し反復の

自己訓練をやらなければ、

すべては無駄になります。

また、

このような古典を読むときに、

註釈と申しますか、解釈、あるいは解説を

誰がやるかによって、

その学びの奥深さや重みに広がり、

関連する歴史的な背景や、

その学問の流れなどの

豊富な情報に大変な格差が生じます。

例えば、

「儒」という字の意味が

時代の変化に伴なって変化したとか、

あまり顧みられない

荀子孟子との対比であるとか、

荀子の原始儒教における歴史的位置付けや

思想言論の大切さまで解説してくださる人は、

極端に限られます。

 もしかすると、

うかうかとしていては

中国の古典を学んでいるとはいっても、

荀子なんて知りもしないという人も

いるかもしれません。

ところが、

荀子によれば、

事は

『為政者の政治風俗を正し、

国民の生活を守る

根本の原理を明らかに指摘するのが儒である。』

という。

為政者にとっての政治哲学であり

政治原論でなければならないというのが

儒という言葉に込められているというのですから、

その含蓄するものには

測り知れない奥深さがあります。

したがって、

この儒という一文字を取り上げただけでも、

何冊もの分厚い本になってしまっても、

少しもおかしくはないわけです。

学問とはそういうものです。