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煩悩菩提

私は会社員の他に様々なアルバイトをしているが、そんな仕事の一つとして楽曲ライターがある。

普段の私の仕事振りを知る人は、どうせユーキは楽曲などいい加減に書いているに違いないと思っているだろう。

しかしいくら私とはいえ、楽曲は一朝一夕に出来るものではない。

長い長い苦労の末に未完成といっていい状態で完成させているのだ。

この日記こそ一朝一夕に出来上がっているが、楽曲となるとそうはいかないのだ。

その過程は一遍のドラマに似ている。

[締切三週間前] 楽曲の依頼が来た。二日酔いの状態なので詳しい内容は理解出来なかったが快く引き受ける。

大丈夫!三週間ある。時間の力は偉大だ。

あふれんばかりの才能が突然芽生えるかもしれなし、クライアントが楽曲を注文したことを忘れるかもしれない。地球が滅亡するかもしれない。奇跡が起こってひとりでに楽曲が出来上がるかもしれない。

 

来週の打ち合わせで詳しい内容を確認して、きちんとテーマに沿って、構想を完璧に練り上げてから作曲にとりかかるつもりだ。

 

身体にも気を配り、万全の状態で書きたい。

早起きして、健康的な食事を取り、身体を鍛えるのだ。人を見る目を養い、作曲力と歯を磨き、古今東西の曲を聴いて、学ばなければ!

早速明日から早起きして、とりあえず曲の選定作業から入ることにする。

太陽は明るく輝き、小鳥はさえずり、爽やかな薫風が吹きぬけ、人々は善意に満ちている。

 

 

 [二週間前] 建設的な決意をした夜は何故か楽しいテレビ番組などが多い。

野球やドラマを見ながら晩酌するため、ついつい飲み過ぎてしまい、二日酔いで寝坊してしまった。

早起きの決意が早くも挫折する。すっかり出端を挫かれてしまった。

 

その後、いろいろ用事が入る。

デモテープを聴け、ギタリストがインフルエンザにかかったので代わりに弾け、不幸があった、会議に出ろ、臨時に会議を開け、事務所の掃除をしろなど、用事が目白押しだ。

これでは何年あっても足りない。

 

それらの用事でくたくたになり、疲れを癒すためにスマホゲームをしながらアルコールを摂取する。

まだまだ時間はある。リラックスして英気を養っておかないと、いざというときになって力が出せない。

たまたま、その日の夜からスマホゲームの大事なイベントが始まり、ついつい寝不足になる。

次の日は、ぼんやりした状態で仕事をすることになり、疲れがたまっていくのが分かる。

全てを忘れて早めに寝ようとするが、寝つけず、またゲームをしながら深酒をしてしまう。

 

[一週間前] まだ奇跡は起こらない。才能は芽生えず、詞も曲もひとりでには出来上がらない。

今はもう、クライアントが忘れてくれることを祈るだけだ。真剣に祈っているところに会社から確認の電話があったことを告げられ、タイトルだけでも知らせろという。やはり忘れていなかった。

祈り方が足りなかったのかもしれない。祈り方をもっと研究する必要がある。

 

酔った勢いでクライアントにタイトルをメールする。翌朝になり、最悪のタイトルを選んだことに気づき取り消しをお願いしようと連絡したが、広報の方にもう連絡してしまったとの事。

他のタイトルだったらどんなにいいものが書けたかと思う。「味覚の四大要素」の方がまだしも書けそうな気がする。

 

引き受けたことを後悔し始める。引き受けたときに立てた遠大な計画のことは、今は思い出したくもない。頭の片隅にはいつも楽曲のことがあり、何をしてもあまり楽しくないので飲んでゲームをする事にする。

[三日前] どうも心が沈んでいる。理由をよく考えているうちに、曲のことを意識から振り払おうと努力している自分に気付く。振り払う努力を別の方向に向ける必要がある。

 

運悪く、急を要する用事がさらに増える。推薦状を書け、イベントの企画書を書け、事務所の掃除をしろなど。

疲れはピークに達している。あふれんばかりの才能は芽生えず、かわりに、どこか遠い国に行って何も考えないで人生について思案をめぐらしたい、というわけの分からない欲求が芽生える。

 

何を書くか何も浮かんでこない。こういう状態を「構想を練っている」といえるのだろうか。これでは「何もしない」というのと実質は何も変わらないのではないか。

 

不安はつのってくる。だが時間はまだある。今は締め切りに備えて休養をとっておく時期だ。事務所など片付けているときではない。

 

[締切当日] 依然として才能は芽生えず、楽曲は自然のうちに生じない。奇跡が起こる気配はまったくない。

 

催促の電話。クライアントはまだ依頼したことを忘れていない。催促すれば効果があると思っているのだろうが、実際、効果はある。

 

近所で建築工事が始まる。天候も悪化し、暗雲がたちこめてくる。カラスが不吉な泣き声をあげる。

 

体調がおかしい。身体がだるく、熱があるように思えて体温を測ろうと思ったが体温計が見当たらない。一時間近く探してやっと見つけ、体温を測るが、平熱だった。こんなはずはないと思い、何度か測りなおした結果、熱の出ない奇病という結論に到達する。

 

病気をおして机に向かい、まずテレビをつける。テレビを見ている場合ではないが、第三次世界大戦勃発など、曲を書いているどころではないような重大事が発生しているかもしれない。

 

さいわい、戦争は始まっていないが、九州で誰かが飼っている毒グモが逃げたという重大事件が起こっていた。やはり見たかいがあった。

 

夜もふけ、アルコールも回り、いまからではもうまともな曲は書けないと観念する。どうせまともなのが書けないならゲームをしても同じだ。

 

気がつくと東の空が白み、新聞配達の足音がする。世の中は着実に進行しているのに楽曲はまるで進行していない。ゲームの中のユーキが着実にレベルアップしていく姿を見て、ゲームと現実の違いを再認識する。

 

病魔と睡魔に襲われ、曲を書くのに最悪のコンディションとなり、少し回復を待った方が良いことに気付く。頭をすっきりさせるため、三十分仮眠をとる。しかし仮眠の結果、頭だけでなく身体もぼんやりしただけだったので、三時間眠ることにする。

 

[締切翌日] 六時間程眠ってしまったが、すばらしい夢を見た。作曲禁止令が公布された夢だ。

 

だが現実は厳しい。当初は「稀代の名作」を書く予定だったのに、「何でもいいから音符を連ねたもの」を狙うところまで希望が後退してしまった。何もしていないのに、どうしてこんな結果になってしまったのか。 

 

 何もしていないからだろう。

 

奇跡は起こらず、体調も数時間前の最悪な状態からさらに悪化している。あのときに書いておけばよかった。

 

スタジオや会社からの執拗な電話を無視しつつ、破れかぶれで音符を埋める。

 

楽曲をメールで送り、電気信号のミスか何かで名曲に変わってくれるよう、最後のお願いをする。自分がこんなに信心深いとは知らなかった。後は出来るだけ早く曲のことを忘れることだ。

 

[締切数日後] 楽曲の依頼がくる。締切まで三週間もあるから楽勝だ。酔って気分も良いので快く引き受ける。