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「旅ずきんちゃん」で紹介されてた天竜浜名湖鉄道 私の覚え書きとして

昨年秋、ある土曜日の朝、夫が昔の職場の仲間と旅行へ出かけてしまうと、私は家に一人になった。普段であれば、平日仕事でできない掃除をして、昼前までには姑を連れてお墓参りを済ませるのが常だが、その姑も前日から義妹のところへ泊りに行っていた。突然手に入れた滅多にない自由な一日だった。

 この貴重な時間をどうしようか。そうだ、天浜線に乗りに行こう。前からずっと乗りたいと思っていたが、家族で浜名湖周辺に出かけることはあっても、自動車ばかりだった。自分ひとりで、しかも目的がただ列車に乗るためだけに出かけるということに、理解を期待できる家族でもなく、ただぼんやりと、いつか乗りたいなぁと思っていた。その「いつか」が訪れた。

 とはいえ、たいてい週末は車で二十分ほどのところに住む娘が、可愛い二人の孫を連れて遊びに来る。土曜日は上の子のスイミングを済ませて三時くらいにやってくる。孫と遊ぶことは今の私にとって無上の幸せなので、それまでには戻りたい。本当は新所原から掛川まで、ところどころ気になる駅で下車しては往復したいところだったが、それは諦めた。

 目的を天竜二俣駅に決めたのは、国登録有形文化財の転車台があったからだ。現在も可動しているところが凄い。そして毎日、見学ツアーなるものが開催されているという。金曜日の昼休み、夫からのメールで姑が義妹のところへ行ったと知り、この計画を思いついた。その夜は時刻表やツアーの時間を調べて、とても幸せな気持ちだった。夫を送り出したあと、九時前に牛久保駅から飯田線に乗れば、十時五十分の転車台見学ツアーにちょうど間に合う。数十分の見学のあと、駅舎の中にある美味しいと評判の「ホームラン軒」というお店でラーメンを食べて、十二時四十七分の下りに乗れば三時前に家に着ける。完璧だ。

 ところが、舞い上がるような思いで天浜線について検索していると、とんでもない記事が飛び込んできた。なんとその日、二千十七年の大河ドラマ「おんな城主直虎」に先立ち、ゲーム会社とタイアップして「戦国BASARA」シリーズの井伊直虎徳川家康の絵が車両全体に描かれたフルラッピング列車「直虎号」の出発式が行われ、十二時四十七分に発車するのだという。

 鉄道とゲームのコラボレーションとなれば、双方のマニアなる人たちが集まるに違いない。一両編成の直虎号が満車となって乗れなかった場合、次の下りは一時間後しかない。時間に余裕さえあれば、ちょうど出発式に立ち会える幸運を喜ぶところだが、私にとってはバッドニュースでしかなかった。ラーメンを諦めて、一本前の十一時四十七分に乗ることにした。

 さて当日は晴れた気持ちの良い日だった。八時ころ、お迎えの車が来て夫が出かけると、私もそわそわと身支度をして牛久保駅へ向かった。予定した時間の飯田線に乗り豊橋へ。天竜二俣に滞在する約一時間は殆ど転車台ツアーで終わるので、昼食は列車内でとることになる。何を食べようか。

以前テレビで新所原駅にあるうなぎ専門店「やまよし」を紹介していたのを思い出し、うなぎ弁当にも心が揺れたが、車内で一人お弁当を広げるのは勇気がいるのでやめ、こっそり食べられるよう、豊橋駅構内の売店でおにぎりを二つとお茶を買った。新所原について見ると、その店は駅工事に伴い二か月間の休業中とのこと。他に売店もなく、発車の時間も迫っていたため、結果、おにぎりを買っておいて正解だった。

新所原駅は予想以上に混雑していた。帽子にリュックといった家族連れやグループが多く見受けられたので、よくある駅発着のハイキングイベントのようなものでもあるのかと思ったが、いろいろな駅でばらばらに降りて行った。車内で年配の軽装の女性が、隣り合った人に「私は天浜線に乗っていろんな駅でぶらっと降りるのが好きなの」と話しているのも聞こえた。駅も沿線も魅力的なのだ。

天浜線の駅には駅舎やホームが国の有形文化財に登録されたものがいくつもある。また知波田の駅は建物内に歯医者さん、都築はパン屋さん、西気賀では洋食屋さんが木造の駅構内にあるというようなユニークな駅も多い。また湖畔にある浜名湖佐久米駅は冬にユリカモメが飛来することで有名である。動画サイトに投稿された、車両の周りをカモメの群れが飛び回るシーンはとても幻想的で憧れる。

総延長六十八キロ足らずのうち、天竜二俣まで四十キロくらいの間、二十一の駅で停車するたび、懐かしい木造駅舎に胸が熱くなった。また、好天にキラキラ眩しい浜名湖や、日本の原風景のような里山、広々とした田園風景、かと思えば両側の窓に枝があたるほど樹木の迫る林の中を駆け抜けるなど、車窓にも心が躍りっぱなしだった。普段乗ることのない気動車特有の音に、加速するたびわくわくさせられた。

天竜二俣に着いて、間もなく転車台見学ツアーが始まるとのことで急いでツアー切符を買う。二十名ほどで、案内の女性に続いた。線路を何本も横切り、駅舎と反対側の脇道へ出て転車台や扇形車庫とそこに併設された資料館へ向かう途中、フェンス越しに例の「直虎号」を少しだけ覗き見ることができた。

しばらく歩いてもう一度フェンスの扉から、普段は関係者以外立ち入り禁止の運転区敷地内に入る。出迎えてくれたのは蒸気機関車時代の貯水塔で、その足元に事務室や休憩所、洗濯場や浴場などの施設が並ぶ。乗務員さんたちが煤や油を洗い落とした広い浴場は今はその役目を終えて、記念やイベントの際に列車の顔に飾られたヘッドマークが展示されている。昭和三十九年当時の尾奈駅の運賃表も掲げられており、豊橋まで百円、豊川が百二十円、新所原経由東海道本線で東京都区内が千二百二十円などの表記に時代を感じた。

見学メインの転車台と扇形車庫はもちろん登録有形文化財だ。昨年オープンした京都鉄道博物館にある梅小路蒸気機関車庫は大正時代に建てられた鉄筋コンクリート製の立派な車庫だが、こちらの車庫は戦時中に建てられたので鉄が使えず木造との説明。趣があってとても良い。ガイドさんもわざと有名で大きなものを引き合いに出して話されているが、表情や言葉の端々に天浜線への愛情が感じられた。

いよいよ転車台の実演が見られる。転車台も扇形車庫も展示だけでなく、実際に今も使われているというのが素晴らしい。一両編成の気動車ならではだ。列車がやってきて転車台の上に収まると、列車の乗った鉄桁の片方の端にある牽引機で回し始める。約九十度回転して止まり、列車は扇形車庫の横にある車庫に入って行った。

この転車台を回す牽引機は人ひとりが立って操作するくらいの、クリスマスのお菓子が入ったサンタブーツのような形をした機械だ。この先、故障しても新たに部品を調達することができないため、車両基地の移転に伴い使われなくなった長崎の転車台の牽引機を譲り受けたとのこと。いつかの出番に備えるかのように、鉄道歴史館の横で静かに転車台の実演を見守っていた。

最後はその鉄道歴史館で、私には何が何やらわからないけれども、マニアの人なら楽しいだろうなと思うような機械や方向板のようなもの、私でも懐かしいような硬券の並んだ切符売り場など見学してツアーは終了した。「新幹線でびゅーっと行く時代に六十八キロを二時間かけて走ります。お時間があったらまたぜひ、天竜浜名湖鉄道に乗りに来てください」ガイドさんの言葉には終始天浜線を愛する気持ちがあふれていて、とても心があたたかくなった。

駅のほうへ戻ってくると、三番ホームでは直虎号の出発式の準備をしていた。駅舎の外では二十名ほどの行列ができていた。台が設けられていたので、何か記念品とか記念切符の販売があったのだろうか。詳しく観察する時間もなく、私は慌ただしくマイクのテストなど行われている三番ホームから一本前の列車に乗り込んだ。

天浜線サポーターズクラブというのがあって、車内にも会員募集のポスターが貼られていた。天浜線を愛する個人や団体の会員が、天浜線を盛り上げるために活動するというものだ。沿線に花壇を作ったり、駅に図書を置いたり、コンサートを行ったりしているという。わずかな時間、駅に滞在しガイドさんの話を聞いたあとでは、その気持ちが余計にわかる気がした。

無人駅のホームに不揃いな古い椅子がふたつあるのに気付いてカメラを向けた。これもきっと誰かが待つ人のために持ち込んだのを鉄道側もそのまま置いているのだろう。鉄道会社と利用客が寄り添うようにしてこの一両で懸命に走るけなげな列車を守っている、そんな温もりが今も写真から伝わってくる。

相変わらずの晴れ空に美しく輝く浜名湖がまた見えだした。どんどん終点が近づいてきてしまう。新所原まであと十駅ほどとなった寸座の駅で止まったときのこと。老人車を押した、白髪の腰が曲がってとても小さく見える華奢な老女が立っていた。その瞬間、ワンマンカーのその列車の運転手さんがすっと近づいて、彼女が降りるのをサポートしていた。そしてまた運転席に戻り、ドアを閉め発車させた。

各駅停車のみの天浜線。けして多いとはいえない乗降客。きっとその丸顔の眼鏡の奥に優しい目をした若い運転手は、あのおばあちゃんが乗ったときから寸座で降りることを知っていて、いつも手助けしているのではないか。やられたという気持ちだった。天浜線の線路には血が通っているのではないか、そんな温かさに思わず目頭が熱くなった。

 乗っているだけで癒される列車、乗ることが目的でも十分楽しめる天竜浜名湖鉄道。またチャンスがあったら乗りに行きたいと心から思っている。