教団中村文則

たまたま図書館で見かけて。

どこかで耳にした書名だと思ったら、読書芸人で面白いと取り上げていたのでした。

で。

読んでみたのですが。

567ページが長すぎ。

私もトシ取ったわ、最後まで読むのがめんどくさくなり。

せめてこの半分の厚さだったら、ちゃんと読んだかも。

で。

印象に残ったのは。

父性を利用している。さっきまでの部屋では母性さえも。人間の欠落に入り込んでくる。こういうやり方か、と楢崎は思う。でもこれには、マニュアル以上の何かが奥にある気がする。世界は不可解だ。

カルト宗教の内部は、大抵がフィクションのようなものかもしれない。突発的なフィクションの前に、日常は無力だった。でも、日常には湿気と広がりがあり、やがて日常がフィクションを解体し、死刑を告げ、すべてを平均に戻す。

精液を取り込んだ女の表情は、美しかった。彼女は解き放たれている、善や悪などではない、解き放たれているのだ。

出現した一つの幸福の形が、邪魔者を弾いたということになります。幸福とはその性質上、様なものを排除した上に成り立つ閉鎖された空間であります。

死ぬのは当然、怖くて抵抗があるから、死にに行く兵士を宗教で焚きつけるのは今も昔も同じです。

何というか、徹底されていない善が私には心地よかった。私は師の元で修行に励みました。

私たちは世界を肯定しましょう。すべてではなく何かは肯定しましょう。この世界には何かいいことが確かにある。たとえ性ができない人でも、ご飯をたべておいしいと思ったりするでしょう?娼婦だったとき、自分のような存在にも、食べ物は幸福を与えてくれると涙しました。世界の中にある何かは、自分に対して優しいと。私たちは、すべての人たちがこの世界の一部でも肯定できるように、努力していきましょう。善を行うことに構えてはいけません。気軽な善でいい。日の中で世界へ善を動かす歯車になりましょう。不完全で不安定で、でも何とか生きている人間という存在への励ましのように拍手が響いた。

といったところでしょうか。

聖書の黙示録に出てくる、敵の神の言葉。

熱きにもあらず、冷ややかにもあらず、唯ぬるきゆえに、われ汝を我が口より吐き出さん

この言葉が、教祖様にとって重大な意味があるようなのですが。

マラリアで死にかかった彼が、同胞を見殺しにして、少しでも命を長らえようともがくときに脳裏に浮かぶのですが。

汝とは、我が命という意味?

ワケ、分かんないぞ、この言葉。

聖書の言葉の解釈って、難しいからなあ。

この言葉の意味が分からないと、教祖がどうして教祖になったのか、そのテーマは理解できないかも。